~KJ法の仕上げ~
昨日のツイッターで、面白い写真を見た。
詩人「宮尾節子」さんのブレーン・ストーミングは、KJ法なんだと。
文章化されたものが「詩」になっている。
私自身がKJ法に出会ったのは、大学生のとき。
システム工学演習だった。
ラベルになった情報、各自が持ち寄る。
情報を共有し・編集する。文章化して、納得解を得る。
准看護学生が卒業後、職場で行う看護研究。
夜勤もあり、研究グループで時間がなかなか合わせられない。
卒業生の事情を聞いたとき、
「KJ法は便利で使えるかも…」と、私は感じた。
看護の世界で使えると信じ、
10年以上前から、准看護学校でKJ法を教え始めた。
すると次第に、進学先の第二看護学校で、県内の病院で、
KJ法の図解を見ることが多くなった。使ってくれているのだ。
KJ法の授業は、今年度は今回で3回目。
1回目は実習の経験から、自分の「思い」を吐き出したもの。
2回目は個人情報を集めるもの。
仕上げの今回は、社会問題を取り上げた。
学生に与えられた時間は、90分が2日+20分が1日。図解完成と発表が課題だ。
看護研究をKJ法で行う場合と同様、集まることができる最低限の時間しか与えない。
将来、学生は同じ研究をする仲間とは、勤務日・時間帯が違う仕事に就く。
集まれる時間に「やることを限定する訓練」のためだ。
ラベルづくりは、普段からコツコツと。
同じホルダーに入れておけば、互いに見合うので無駄なラベルを作る必要がない。
集まって図式さえ完成させてしまえば、それぞれ分担して文章化し、
また、同じホルダーに入れておけば、互いに校正はできる。
このことを学生には教えない。
しかし、KJ法を進めていく様子を見守っていると、やはり自然に見付けていく。
「より良い方法を、見付けていこう」という思いを、
摘んでしまうことこそ、私がやってはいけないこと。
私が知っている以上の方法を、見付ける力の方が大切なのだ。
きっとこれからの情報交換・集合知の積み上げは、
AIの発達とともに変わっていく。
「使えるものは使う」貪欲さで、効率を高めてほしい。
発表では、様々な工夫がされた。
政治家のような解決策の提示、当てはまる数値を予想してもらうなど、
それぞれのグループの特徴がよく出ていた。発表時間が長引き、本日へ持ち越された。
『多種多様な社会的背景をもつ人』が、発表内容に深みを持たせたのである。
マナビラボの冒頭の言葉。そんな学びが准看護学校ではできている。
http://manabilab.jp/aboutus
「私たちは信じています。
「今ある現実」を「見える化」できていないものは、具体的に「将来を構想すること」はできません。
「今ある現実」を「見える化」できたところから、生産的な議論がはじまります。」
経験を積み重ね、思いを持つ。
そして、実践に移す中で少しずつ思いを広げていく。
「目の前にいる人の幸せを願える行動」を、
学生たちはきっと、これからも続けてくれるだろう。