「わかっている…」と、思い込みたいのを堪えて ~個人指導は忍術~
~じっくり、ひとりひとりに合わせていく~
久しぶりに、「看護受験のために」数学を勉強する人がいる。
買い物で計算は、普段からやっているので、何とかなる。
使わない文字・ルートの計算が最初の関門となる。
あとは、やったことを持続的に「覚え続けてもらうこと」ができるかどうか課題となる。
加齢とともに、その戦いは厳しくなる。
新しいことを覚えると、前のことを忘れる。それを「当然」と認識する視点に立つことから始まる。
「忘れさせない」工夫を、こちらもあれこれ手を打ち頑張る。そして、何とか定着を図る。
その方の頭にある「既存のもの」を探り、無理やりそれに「ひっかける」しかないのである。
『下手な鉄砲、数打ちゃ当たる』精神で、あれこれ例え続ける。
一見「無駄」と思えることも、目の前の方の「頭の中にある」ことならOK。
それを見付けることに、例えることに、時間がかかることが少なくない。
「個人指導」でないと、伝えきれないところが、ここにある。
今回教えた方は、関数でつまる。
方程式がわかるのに、文章題もわかるのに、
座標・グラフと式が結びつかないのである。
私としては『鉄砲を撃ち続ける』しかない状況になっていく。
例えば「傾き」という言葉。私はなんとか「頭にひっかけようと」試みる。
正の数で、「傾く」大きさ比べをする。
また、負の数でも同様に比べる。
『急な上り坂』、『緩やかな上り坂』、『くだり坂』、『…』と坂のイメージと傾きを結びつけてみる。
文字・式を、イメージや言葉に「置き換える」
そして忘れないようにする。
y=ax+b のaに「傾き」という言葉を付けた人も、
きっとそんな思いを持って、名付けたのだろう。
「座標が点を表す」ことも、工夫して教えないと、
いつまでも「覚えている」とは、限らない。
「座」「標」という言葉からのイメージ。
次回伝えきれるのか、工夫を凝らす。