オーストラリアの数学教育 ~何を何のために教えるのか~
noteのポニーさんの絵
今回はオーストラリアの数学の時間に使う電卓だ。
これは調べてみると、優れものだった。
関数を入力すると、グラフも描いてくれる。
考えて「使いこなす」ことが、授業でもテストでも求められる。
関数を入力すると、グラフまで表示する凄い電卓だ。
高校のカリキュラムでも、この電卓が大活躍。
三角比で高さを求めたり、金利計算を電卓で求めたり、
思考の後の計算は、これを「使いこなすこと」になる。
それと比較し、下記の調査が気になる。
得意率は低くて、平均点は高い。
数学を教える立場として、なんとなくわかる。
暗記・習熟…そして、正解でないと○にはならない。
思考過程は、証明と説明のみでしか部分点対象にならない。
全てか無か。また、その中間になることも苦しい。
全てを求めれば、ステップを踏まないと理解しずらくなり、時間不足に。
無になれば、上滑りで授業は早いが「思考の放棄」となる。
どちらにしても他教科の元となる「論理」が、数学で保証しにくい状況になっている。
オーストラリアは、自分が使えると便利な数学。
日本は、数学にどんな意味を持たせているのだろう。
テストのための訓練。それにどれだけ時間を使い、
「苦手な教科」にさせているのだろうか。
「根拠を持って考えられる」レベルは、
同一学年で「どの程度まで必要」なのか、検討の余地はある。
日本の中学での「詰込み量と水準」は、
国際的にも高すぎるように感じる。