必要感が違うとき ~出来なかったことが、できるようになることも~
2018年01月07日

~教員採用試験前のこと~
気になるツイートを見つける。鉛筆の「正しい持ち方」
鉛筆 正しく持てる? ボランティア、塾で指導|社会・話題|上毛新聞ニュース https://t.co/9ybgpArMvt#鉛筆 #持ち方教室 #高崎 #前橋 #群馬 #上毛新聞
— 上毛新聞 (@jomo_news) 2018年1月5日
私もなかなか直らなかった。
なのに教員採用試験前には、
箸の持ち方と同時に、直せたので不思議だ。
何故だろう。
スポーツでも、繰り返しているうちにできることもある。
しかし、何度繰り返してもできないこともある。
その出来なかったことが、しばらくしてからやってみると、
急にできることがある。不思議な感覚だ。
大人になり、動きが統合化されてきたのか。
それとも、必要感の違いなのか。
その両方なのか…ただ、
出来るようになった時の喜びは、私の場合、子どもの頃と変わらない。
出来るようになった時期は違う。
出来るようになるまでの、スピードは違う。
その違いを優劣で捉え、人を苦しめていないだろうか。
「出来るようになった」ことには、差はないはずだ。
不器用な私は、出来るまでに時間がかかることが多かった。
不器用だけに、いろいろな方法を試して、出来るようにしたこともあった。
出来ないことは、アイディアや工夫、誤魔化し方などで「代用する」こともあった。
すべてが「できる」に、こだわらずにいた方が気が楽である。
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