縫えないほころび ~NHKの番組への反響~
2017年01月29日

~岐阜の女性は、内職から転換~
「親から受け継いだ」か…
岐阜の縫製工場が番組に。
そしてPOSSEの板倉氏の怒りが。
私が怒っている番組はこれです。冒頭は技能実習生の相談にのる愛知の労働組合への取材から始まるので、労働問題をまともに扱った番組なのかと思わせるのですが、だんだん雲行きが怪しくなっていきます。取材された組合も怒っているのでは?https://t.co/T6kNKTSv84
— NPO法人POSSE 坂倉昇平 (@magazine_posse) 2017年1月28日
NHKで外国人技能実習生問題の番組をやっていたが、最悪。最低賃金が払われないことに立ち上がる労働者が増えたことに「1円でもたくさん持って帰りたい、それ以外の何物でもない」などと不満を垂れる会社に同情し、時給550円を正当化する発言を「経営者の悲鳴にも聞こえてくる」などと解説。 pic.twitter.com/2MfoDLmKwO
— NPO法人POSSE 坂倉昇平 (@magazine_posse) 2017年1月28日
まあ繊維製造業におけるグローバル競争という構造的背景も述べられていましたが、それで開き直ったらダメだろうと。あと親から受け継いだ工場を廃業しなくてはいけない〜という言い訳もありましたね。@T_akagi
— NPO法人POSSE 坂倉昇平 (@magazine_posse) 2017年1月28日
私の子供の頃が、頭によみがえる。44年も前のことだ。
今は「本荘公園」になっているところは、
紡績工場だった。その北の住宅地は、寮だった。
若いお姉さんたちが、たくさんそこに住んでいた。
そろばん学校の帰り、寮のお姉さんからよく声をかけられた。
「お菓子あげるから、中においで」と。
ある日、中に入ってみた。狭い部屋に多くのお姉さんたちがいた。
「中学出て、九州から来て、ここに来た」と。強烈な印象が残っている。
岐阜は繊維産業が盛んだった。
問屋町も狭くなり、本荘の南に
「第二問屋街ビル」が建てられた。
そこでも多くの人が働いていた。
私が小学校高学年になる頃から、急に転出する友達が増えた。
仲のいい子も転校し、寂しかった。
校区南部にあった紡績工場が、移転した。
それからどんどん紡績工場が、岐阜から消えていった。
そして子供のころもう一つ印象的だったのは、
友達の家も含め、ミシンの音。
縫製工場からの外注を内職も支えていた。
岐阜の女性は、専業主婦兼内職の人が少なくなかった。
しかし、工場がなくなり、お姉さんたちが居なくなった。
内職をする人も引退。または、外で働くようになった。
高校進学率も上がり、中卒の女子労働力もなくなってきた。
そして問屋町も、静かに。夏・冬の「せんい祭り」も年々寂しく。
その代わりに、技術研修生が増えてきた。
ブラック企業批判など労働基準法を守れといった機運の高まりを感じるけれども「ただし外国人労働者を除く」みたいな経営感覚も未だ根深い印象。外国人技能実習制度と銘打って「あいつらは別」と奴隷労働させてきてるわけだからな。
— ナスカの痴情ェ (@synfunk) 2017年1月28日
岐阜は労働力の「置き換え」の歴史で、支えられてきたのだろう。
「親から受け継いだ」の言葉に、
そんな響きを感じたのは、私だけだろうか。
【2017.2.1】追記
あの、お姉さんたちの部屋を思い出す。
NHKなう。岐阜の繊維工場でこき使われていた外国人「技能実習生」。1ヶ月の残業が140時間で月給は11万6千円。時給換算で333円。ネズミの出る古びた台所に14人が寝起き。。。日本の恥。頼むから日本嫌いを増やさないでほしい。これこそ国益に反する。 pic.twitter.com/eRgGpoTcj8
— 南野 森(ナンノツモリダー!) (@sspmi) 2017年1月30日
あの、お姉さんたちの部屋を思い出す。
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Posted by 星野 健
at 11:54
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│時事
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