今、感じる「危機」 ~『生命のない秩序』へ~
2017年03月04日

~遠い記憶が、蘇る~
「今は国の外からの支配より、国の内にある支配から国や国民を守ることの方が大切」
— 星野 健 (@JUKUHOSHINO) 2017年3月2日
同感。
これほどの「危機」を感じたことは、今までにない。 https://t.co/o7tRE75CW6
この『危機感』
そういえば、教員になったばかりの時にも、
一度感じたことがある。
初任者として赴任した学校のHPを、ふと見てみた。
『土岐市立泉中学校』学校案内より
http://www.ed.city.toki.gifu.jp/izumichu/04_school/04_school.html
<平成元年頃>
昭和61年~63年にかけて、生徒指導上困難な状況にあった。
この状況を打破するために、学級経営を基盤とした学校再建に取り組んだ。
生徒主体の積極的な諸活動が生まれ、学校や学級、自分に誇りと自信をもてるようになった。
そうした安定した基盤の上で、全国バズ研究会の開催をはじめ、様々な研究実践に取り組み、
研究発信することで東濃地区の教育をリードする先進的な学校として発達した。
新規採用で赴任したのは、この頃だった。
2年目に、2年生の学級担任。そのままのクラスを
「持ち上がり」で、3年目に3年生の学級担任となった。
生徒指導上困難…『生命のある無秩序』な状態だった。
生徒主体の自主的な諸活動が生まれたことも事実だ。
初めて中学3年生の担任をした時のことを思い出す。
— 星野 健 (@JUKUHOSHINO) 2017年2月4日
丁度、今の時期、クラスが割れた。
「進路が早く決まった者」と「これから受験の者」との感情的な対立だ。
早く決まった者で集まった。
「自分たちで何かできることを」と。
自主的な朝学習が始まった。そして共感した人だけ、朝、集まった。→ https://t.co/vMgaNsClzH
@JUKUHOSHINO →最初は、早く決まった人だけの集まりだった。互いに、学力の維持をしようと教えあっていた。やがて、彼らに勉強を教えてもらいたい友達、面接指導を受けたい友達が、朝早く来るようになった。やがて、大部分の生徒が参加し、それぞれの時間を楽しみ、別れを惜しむように。
— 星野 健 (@JUKUHOSHINO) 2017年2月4日
『安定した基盤の上で、全国バズ研究会の開催』とある。私も自分のクラスでバズ全国発表をした。
「自由に何でも言える小集団」の中で、安定を「話し合って作っていった」記憶がある。
それぞれの『危機感』が、生徒主体の積極的な諸活動になっていった。そして危機を脱出した。
『生命のある無秩序』という感覚は、ここから来たのだろう。
今の『危機感』は、全く逆だ。そして、その時よりも強い「危機」を感じる。
大きな力で、包み込んでくるような『生命のない秩序』への流れ。
あのときのように「逆へのエネルギー」も、きっと充分に、個々人に、溜まっているだろう。
後に振り返り、後悔ができる限り少なくなるように、今・出来ることをやっていきたい。
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