教育のスタンダード化 ~世の中の流れ~
2017年11月01日

~「多様性」を公立小・中では、求めにくくなるのか…~
気になるニュースが。
https://t.co/JMTdgiCNdi「マニュアルのように使われれば、指導が画一化する恐れがある。スタンダードに沿って学習規律を一律に求めるなら、発達障害や外国籍の子への配慮が欠けてしまう。何より問題なのは教師がスタンダード自体の内容がいいかどうかを吟味しなくなることだ」
— 本田由紀 (@hahaguma) 2017年10月29日
「伝統」
「スタンダード」
には、議論の余地はない。
吟味せず「適応しているか否か」が全てとなる。
教師自身に対しても、生徒に対しても同様。
下の記事のような状況となっている。
http://www.news-postseven.com/archives/20160507_409670.html?PAGE=1#container
こんな意見も。
学校は、いじめで生徒の心が傷ついても、学校に来なくなっても、生徒の気持ちによりそうことはない。そして、学校の規則や指導に従い、与えられた課題をこなしながら、優秀な成績を残した者だけを良しとする。学校は人を育ているのではなく、いびつな形のふるいにかけているだけ。
— 津田 明彦 (@akihiko_tsuda) 2017年10月29日
学校における「黒染め」強要問題の延長線上には、新卒一括採用、就職活動における画一的なリクルートスーツと髪型、時代遅れの偏差値入試などの問題があります。
— 茂木健一郎 (@kenichiromogi) 2017年10月29日
これらのマインドセットが日本の停滞の象徴であり、原因です。
すべてはつながっている。
もっと多様性と自由を。
多様性を公立小・中学校に求めにくくなるのだろうか…
そしてそれが「社会のスタンダード」になっていくのか…。
世界の流れからの「停滞」というより「逆行」を、
あらゆる場面で感じるようになるのかもしれない。
人間に振り回され、人間に疲れ切り、人間に裏切られ、人間に馬鹿にされ、人間に絶望する。なのに、その人間に支えられ、人間に慰められ、人間に気づかされ、人間に救われて、人間に涙する。好きになったり嫌いになったり。結局まわりはみんな自分と同じ人間だ。怖がることはない。無理することもない。
— 辻仁成 (@TsujiHitonari) 2017年10月28日
今の自分の立ち位置で、できることを無理なく続ける。
…そうしていこう。
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