言説を届けうる立場 ~ある社会学者の発言から~
2016年01月11日

~その立場の方の、心構え~
なるほど。と思ったツィートを、
「自分のメモ」も兼ねて、ブログに残します。
「ハーフは劣化が早い」発言については、冷静に考えればそれが許容できない発言だと思うと同時に、ネットで日々その種の発言に触れているものとしては、ついポロッと口にしてしまいかねない(そして後悔する)という不安もあって、発言者個人の資質の問題に帰する気にはなれないです。
— 高 史明(TAKA, Fumiaki) (@Fumiaki_Taka) 2016, 1月 9
「ファビョる」という、僕の価値観からも専門知識からも当然許容できない侮蔑的表現でさえ、毎日目にしているとその言葉の処理が「自動化」されて、うっかり使ってしまうんじゃないかという不安は常にある。
— 高 史明(TAKA, Fumiaki) (@Fumiaki_Taka) 2016, 1月 9
人間の言動は常に熟慮の上になされるわけではなく、かなりの部分自動的になされるので(熟慮しなければ行動できないとしたら自転車で駅に行くことすら困難でしょう)。日頃何を見て何を聞いて何が自動化されているかはとても重要。ネット上の言論はその基準点を狂わせている。
— 高 史明(TAKA, Fumiaki) (@Fumiaki_Taka) 2016, 1月 9
現代は、社会学的な発想、すなわち自分がいかなる立場や価値観をもっているかを常に内省すること、データ等を通じて社会事象をできるだけ広く知ろうとすること、物事の潜在的逆機能の可能性を常に考えておくことなどが、社会学者以外にも求められるようになっている、と秋の授業の最後の回で言った。
— 本田由紀 (@hahaguma) 2016, 1月 9
私は単なるいち教育社会学徒だが、個人的に社会学を愛している。ほんとうに大事だと思っている。だから、社会学を不当に貶められたくない。僭称されたくはない。
— 本田由紀 (@hahaguma) 2016, 1月 9
そして、社会学を名乗るかどうかを問わず、一定の広い範囲の人々に言説を届けうる立場の人間-たとえば、テレビに出る、国会で答弁する、ツイッターで多くのフォロワーをもつ-人々が、内省もなく言葉の意味にも無自覚に、粗雑で冷酷な(そう受け取られて不思議がない)発言をすることに非常に苛立つ。
— 本田由紀 (@hahaguma) 2016, 1月 9
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Posted by 星野 健
at 00:01
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