公立男子中学生との懇談を通して ~自分の時代と比較してみる~
2016年01月25日

~何かに「熱中したい」頃だけど…~
公立男子中学生と、その保護者との懇談。
印象に残ったのは、
「今の公立中学校の評定では、全体的に男子は苦しい。」
ということだ。「あれも・これも」やらなければ、いい評定をもらえない。
私の中学時代、1・2年生でさほど進路は気にしていなかった。
高校へ送られる評定は、3年生に限られていたからだ。
自分を振り返ってみても、1・2年生は勉強も含め「いいかげん」だった。
3年になり、担任との相性も良く、何とか「まともに」過ごしたような気がしている。
また、私が中学の頃は相対評価。テスト順位が良ければ評定に即決。
とにかくテストの点を取り、より細かい部分まで
「正確に再現できれば」良い評価が得られることが、だんだんわかってきた。
3年生では習熟に徹し、一気に評定を上げることができた。
さらに、「中3の春を泣かせない」
という先生方の動きもあり、公立高校の受験では、
極めて不合格者が少なかった。しかし、その前の懇談で、
志望校を受験できず、変更し、泣いていた友達は少なからずいた。
なので、3年生だけ評価・実力をつけて頑張れば、
公立高校でもまず「不合格にならずに」済んだ。
昔のほうが「いい」とか「悪い」とかということではなく、
1・2年生は、今より「のんびりしていられた」ということなのである。
今は、1・2年生から評定が高校側へ。
検定の記録やら、部活動の記録、生徒会活動の記録…ボランティアの記録なども送られる。
「実績作り」でポイントを稼ぐことも「合否に影響するかもしれない」と頑張る。
特に「高倍率」になりがちな進学校を狙う生徒は、1年生から気を配っている。
また、観点別評定から評価がなされるため、
テストの点だけでは、いい評価が付かない。
中でも、教科に意欲・関心がある姿が見られないと、厳しい評価となる。
たとえ、その教科が好きでも、その教科担任との相性で評価は変動するのである。
さらに、私の中学時代のように、基本的にノートは、「メモ」であり、
挙手発言は「ほとんどしない」生徒は、「評定5」を取ることは不可能に近いだろう。
女子よりも男子の成績が「中間・期末テストの結果のわりに悪い」ことは、
塾での指導を通しても、毎年のように感じている。
私が今、中学生だったら、
進路は大きく変わっていただろう。
きっと、人生も…。
追記
津田先生のツィート
人の評価を気にせず生きていけたら、どんなに自由だろうか。
— 津田明彦◯臨床心理士 (@akihiko_tsuda) 2016, 1月 25
小学校から退職するまで、人はずっと「評価」の中で生き続ける。
— 津田明彦◯臨床心理士 (@akihiko_tsuda) 2016, 1月 25
「評価」は、人の心をゆがめる。なぜなら、絶対的に公平な評価などないから。評価する側が人間である限り、そこにゆがみが生じる。
— 津田明彦◯臨床心理士 (@akihiko_tsuda) 2016, 1月 25
「評価を気にせずに生きる」。今の社会の中では無理かもしれない。でも、だからこそ、家の中だけは、「評価」なしにしてほしい。
— 津田明彦◯臨床心理士 (@akihiko_tsuda) 2016, 1月 25
胸に響く。
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Posted by 星野 健
at 22:04
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