教えながら教えられた ~岐北中教師だった頃を思い出す~
2015年12月27日

~懐かしい方に出会う~
キリオへ出かけたら、岐北中での教え子に声をかけられた。私の声に聞き覚えがあったそうだ。自分のクラスの生徒ではなかったが、印象に残っている生徒だった。お子様と一緒。幸せそうな様子で何より。あれから20年以上月日が流れているのに、声の印象は互いに残っていたことに驚いた。
— 星野 健 (@JUKUHOSHINO) 2015, 12月 23
私が岐阜市立岐北中教師だった20年以上前、
人権教育について、いろいろ学ぶ機会を得た。
生徒に教えるため、まず自分を見つめなければならない。
前任校の各務原市那加中では、同和教育主任を2年連続、
研究推進委員として1年、道徳を学ばせていただき、
全国大会発表者として、3年目に授業をさせていただいた。
「話し合いの組織化」を校長に叩き込まれ、その経験が、岐北中で役に立った。
これが岐北中の、現在の学校教育構想。
http://cms.gifu-gif.ed.jp/gihoku-j/uploads/1401086855_img001.pdf
「人としてのあり方、生き方を見つめさせる時間」
「問題に気づく」⇒「自己がわかる」⇒「自己を見つめる」⇒「共に乗り越える」
…私たちが教えて当時のものが基盤となり、きっと発展しているのだろう。
2年連続3年生の担任をする中で、授業を通して私自身が考えさせられた。
「このまま中学教師を続けることが、いいのだろうか」と。
結婚を決意したこと、また、教師をできるだけ早く辞める意志も、
岐北中で、はっきりした。
学校に対する不満ではなく、
「自分らしさ」を求めたかったのだろう。
退職するのは、育ててもらったこの学校ではいけない。
遠い地区の学校に転勤し、最後の年を過ごすことに決めた。
教え子に会い、あの頃の自分を思い出した。
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Posted by 星野 健
at 00:01
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