「プレゼン」ができないと、だめですか?
2019年07月20日

~実社会では、一人で「満点」を狙わなくてもいい~
高校では、いろいろな質問が飛び交う。
数学だけでなく、いろいろな価値について質問も飛ぶ。
それに対して、私は自分なりの言葉で返していく。
その返答に対して、どのように判断するかは生徒の自由だ。
「プレゼンができないと、だめですか?」
今学期・一番印象に残った質問は、真面目な・おとなしい生徒からのものだった。
普段、クラス全体に声を上げることがない生徒からの「直球」の質問だ。
こちらも対峙して、話をすることにした。
「『全ての人が身に着けなくていい』ということの一つだと思う。
プレゼンが得意な人もいる。それは、その人にまかせればいい。
世の中では、その人がプレゼンしやすいように環境を整える人も必要だ。
資料を準備する人も、その人の体調を整える人もその周りにはいる。」と、答えた。
会社経営をしていた義父の言葉が、私の頭にはあった。
『一人で100点を取りに行くのが「学校」だとすれば、
みんなで100点を狙いに行くのが「会社」だ。』と。
その感覚を伝えたかった。
選挙でも同じだ。立候補者は「プレゼン」が大事だ。
それを支える大勢の方が、周りには必要だ。
2種類しか出せない選挙チラシに、「証紙」を黙々と貼り続ける
「ボランティアの方々」が、選挙では貴重なのである。そこに「敬意」が互いに生まれる。
得意なことを伸ばし、任せる部分は任せていく。
「~ができないとダメ」というのは、『呪いの言葉』なのだろう。
この冒頭部分、テキストで公開しました。
— 上西充子 (@mu0283) June 7, 2019
声を上げることを抑圧する「呪いの言葉」 ―『呪いの言葉の解きかた』冒頭部分抜粋 ―|上西充子/ Mitsuko Uenishi @mu0283|note(ノート) https://t.co/8MSbaOGJZy
私たちが社会をより良いものにしていくために必要なことは何か。人を生産性で評価せず、誰にも人権があることを認める。それはもちろん大事なことだ。けれども、一人一人の人権が認められる社会は、法や制度を通して作っていかなければいけない。価値観として認めるだけでは、人権は保障されない。
— 上西充子 (@mu0283) July 18, 2019
明日は選挙だ。
※ブログは2日間休みます。次は23日に更新予定です。
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