知識を伝えるために、授業は必要か
2020年11月30日

~テスト前、質問受付の時間で~
「知識を伝えるために、授業は必要なのだろうか。」
「僕はその必要を感じない。」
期末テスト前、ワーク演習の時間に質問に来た生徒がつぶやく。
「なるほど。どんな時に必要を感じるのかな?」と、私は問い返す。
「…いろいろなものに対して、感じ方・とらえ方の違いを知るとか…」
「それが、授業の中であると充実感があるのだね。」
休校期間でのICT学習・学校再開後の授業を通して、
生徒の授業に対する見方が、洗練されたのだろう。
振り返れば私自身の授業も、この2年間のICT活用で随分変わった。
挙手発言の時間はない。プリント配布の時間はなくなった。そのための事前印刷作業もない。
ノート・ワークの提出も、時間ごとに必要な分を送信のため不要になった。ノート点検はその都度となった。
またコロナ禍となり、教え合い時間を無くし、回答共有後の解説に代えた。
また、休校期間中には既存動画を活用し基礎的事項を生徒に予習してもらった。
授業再開後に、その確認とともに応用課題、見方・考え方の回答共有を行った。
先のブログに書いたように、今後のコロナのことも考え、授業順も再編した。
https://nyoki.hida-ch.com/e1096174.html
確かに、知識を伝えるために、必ずしも授業は必要ではないように感じている。
学校で、仲間とともに学ぶ良さを感じられる授業をつくっていきたい。
「学校が再開されてから、動画の授業は消えうせ、ほとんどの学校が対面授業に戻りました。コロナ禍でせっかく教育改革が盛り上がったのに、それがまた停滞しようとしている。確かに対面のよさはありますが、動画を副教材として使うなどミックスした授業があってもいいです」 https://t.co/JzXwxiMIL3
— 今井紀明 10代の声を聴いて伝えるNPO代表 (@NoriakiImai) November 29, 2020
入院された軽症の方にときどき「えっ?せっかく入院したのに何も治療しないの?入院する意味ないじゃん!」と言われるので、入院したら何をするのかしないのかについて書きました。https://t.co/Fy8S8UsD4f
— 忽那賢志 (@kutsunasatoshi) November 29, 2020
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Posted by 星野 健
at 00:01
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│岐阜聖徳学園高校
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