宮尾節子さんの表現力
2015年09月22日

SWで溜め込んだツイッターを、
ゆったりした時間の中、見直しました。
その中で、宮尾節子さんの
「感謝状」に、出会いました。
感謝状。宮尾節子 pic.twitter.com/su1T9MMrjR
— 宮尾節子 (@sechanco) 2015, 9月 1
栗林佐知さんの
「恩人」に出てきた
「おばあさんに対する評価」
が、私の頭に浮かびました。
また、9月18日に、8月30日のデモ参加レポートが
公開されました。
8月30日・国会議事堂前のデモに参加したレポートを書かせて頂きました。つたない文章ですが、あのたくさんの人間の粒のひとつとして。みなさんと同じ仲間のひとりとして。わたしの思ったこと、感じたことです。読んで頂ければ幸いです。宮尾節子。http://t.co/hLQxO7CTJJ
— 宮尾節子 (@sechanco) 2015, 9月 18
事実の描写。
視点の置き方。
感覚の表現。
比喩によって伝わる力。
宮尾節子さんの感じた事が、
本当によく、伝わってきます。
そして、文章に引き込まれていきます。
私が特に気に入った表現は、次の2つ。
1つ目は、デモ中の出来事の表現。
それにしても、おだやかな決壊だった。
掌の中で、コップの氷が音もなく溶けるような、と言えばいいか。
あるいは春が来て雪解けを迎えるような、
それは自然でゆるやかな規制線の決壊だった。
そして、もう一つは「セコム」と「アンポ」。
庶民は「セコムしてません」セコムできません。
だから盗ったり盗られたりしながらも、
「やれやれ」とぼやきつつ、
ない知恵を絞ってそこそこ安全に暮す工夫をしています。
同じく「アンポしてますか?」の安保法案も、
限られた裕福な人々を守っても、きっと庶民を守りはしない。
むしろアンポするために、危ないところへ駆り出されるかもしれません。
だから多くの庶民が声をあげているのです。「アンポしません!」と。
イメージが頭に、スーっと浮かんできます。
これからも、詩だけてなく
宮尾節子さんの文章に、
数多く触れたいと思いました。
Posted by 星野 健
at 00:01
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