JICA は刺激的③ ~高校3年生の時を思い出す~
2015年09月29日

~海外へ行く チャンス~
大胆な行動をする少年を見て、思い出したことがある。
自分も外国を見てみたいと、夢見ていた頃を。
そのチャンスは、高校3年生の時にやってきた。
「第三次 岐阜市少年友好訪中団」の団員に、選ばれたのだ。
5月中旬に小論文を書き提出。選ばれたのが6月上旬。
そこから、ほぼ毎週土・日は「中国語研修」を含む研修。
家での復習も含め、英語よりも勉強をした。
漢文が好きだったので、英語よりも楽しかった。
8月3日から7日間、自分を含め中・高生10名と団長・副団長の先生2名とともに
中国の上海・姉妹都市の杭州市へ。
魯迅の生家、岳飛廟、西湖など日中は観光名所訪問が中心。
また、人民公社を訪問し生産責任制について学べた。
印象に残ったのは、提携校訪問。
アンチール小の発表は、統制がとれて見事だった。
私もなぜか、ピアノ演奏をそこで発表。
「美しい心」という曲を弾いたが、他の団員は小学生と「写真タイム」だったw
ショックを受けたのは『赤ネッカチーフの少年先蜂隊』
エリートである「学軍中学校生」(中・高一貫教育)との交流だ。
彼らは、『限られた条件の中で』『その期間内に』
成果を出すという、厳しい教育を受けている。浪人禁止だ。
私は暗記した中国語で、団員代表挨拶をする。
あいさつ・簡単な会話も、中国語で周りの生徒とできた。
そこへ、同年の男子学生がやってきた。
『社会問題』についての話になり、中国語では、行き詰る。
会話は、英語と筆談。増え続ける孤児と公害について、話してきた。
彼は英語が堪能。私は英語を「書くこと」「話すこと」は苦手。
単語レベルに落として、会話がようやく成り立つ始末。
かなり『日本の英語教育の評価』を下げてしまった。
逆に筆談では、
漢字が「私より書ける」と、驚かれる。
彼らは略式文字で書いてきて、読み取りに苦労した。
漢文が得意だったことが、ここでは役に立った。
貴重な経験だった中国での毎日。
連日睡眠時間は4時間程度で、早朝から一人で散歩・写真撮影。
現地の方と会話、特に日本語で声をかけてきた大学生とは仲良くなり、
2日連続早朝から会って、時間を忘れて話をした。住所も交換。
反動が大きかった日本での生活。
帰国後24時間連続睡眠。気が付いたら翌日の同時刻だった。
帰国後も、報告会・紀要の原稿づくりなどに追われた。
8月末に、ようやく日常生活に戻れた。
夏休みの宿題は、7月中に済ませたが、
テスト前の勉強が不足していた。
9月1日・2日の実力テストで、学年順位を240番前回より落とした。
「たった3ヶ月で、過去に類を見ない下げ方」と、担任は呆れていた。
しかし、その当時も不思議と後悔の念はなかった。
それよりも、一度流れから「降りて」、自分を見直すことができた。
一度きりしかないチャンスを、生かすことができた。
その喜びの方が、極めて大きかった。
(続く)
Posted by 星野 健
at 00:01
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